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人は神ではない。貴ノ岩の付け人暴行に思う。

 貴ノ岩さんの付け人暴行が報じられた時、とても驚くと同時にテレビなどの報道も注目していました。多くの番組を見ていたわけではないのですが、今朝貴ノ岩引退かのニュースが流れているのを見て黙っていられない気持ちです。昨年来の一連の過熱した報道、相撲協会の対応、経過。さらに貴乃花親方の引退と貴乃花部屋の消失、さらに貴ノ岩の引退かの報道につながれば言葉にならないくらいのショック、衝撃と言っていいくらいです。

 なぜか、ひどく本質から離れていないでしょうか。問題の本質はどこにあったのでしょうか。私はあまり格闘技は好きではないので、相撲も関心がなかった。若貴時代の少し前まではよく見ていて、応援している相撲さんもいて若貴時代くらいから相撲をあまりみなくなっていたのです。しかし、昨年の日馬富士の暴行事件をきっかけに相撲に関心が生まれました。本来の相撲が、剣道や柔道などと同じように、心身の鍛錬や道をきわめることを目指している武道であることを貴乃花を通して知ったからです。

 武とは何か、難しい議論のあるところだと思いますが、武についての日本文化を伝えているのではと思いました。

 しかし、日馬富士暴行問題をきっかけにそれまで知らなかった相撲界の内部を知ることになりました。問われるべきは何か、変わるべきはなんだったのでしょうか。

 暴力とは何か、ハラスメントとは何か、それが大きい力を持つだけに問われる時代になってきました。

 貴ノ岩さんは全くの被害者でした。モンゴル出身の先輩力士にはその動機の如何にかかわらずとにかく気にくわないところがあって、貴ノ岩に暴行を加えたのだろうと思います。

貴乃花にも知らせず、問題の会に参加してしまったことが今回の始まりでした。結果を見るとなんと皮肉な結果でしょうか。相撲を愛し、相撲道を追求したかった人が去ることになり、被害者だった人がすべてを絶たれようとしているのは皮肉ですね。

 貴ノ岩のこれまでに至る様々な経過を考えると、その心中に心が痛みます。付け人を殴ってしまったことは心から謝り、反省し、謝罪しています。殴ることは間違いであり、そういうことをした自分をしっかり考えることは必要でしょうが、尋常でない状況のなかで心が不安定で感情が理性を超えてしまうことは神ならぬ身の人間にはあることです。千賀ノ浦親方が甘いと言われていることは私もそう思います。大変な時ほど、身を律しなければならないのですが、神ならぬ人間に完全無欠を求めることは非情だと思います。それが人間だから。しかし、過ちを過ちと認めないことが過ちという言葉があると同時に過ちを超えるに逃げないことも大切でしょう。厳しい世間の攻めも逃げないで、負けないで、折れないで頑張ってください。


今年は考えたいことがあまりにたくさんあった年でした。言葉の整理をしたいと思います。

 


 

 






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