So-net無料ブログ作成
前の20件 | -

2019-08-14

 今日はお盆。


 仏教でいう無と空、どう考えてもはてなマークの連続でした。

 空も無も文字通り、何もないということと解釈していたので、存在はあるじゃないのと腑に落ちなかったのでした。

 でもお釈迦様は存在を否定したわけではないのですね。存在の在り方なのですね。




 お盆です。故人について思いをはせるのはこの有限と無限の時の流れの何かなのだと思う。



 今日は晴れたり曇ったり、ときに雨が降ってきたりと、不安定な天気です。

 蒸し暑さが半端ではないですね。

 昨年まではなるべく冷房を入れないでがんがっていましたが、今年は熱署には勝てず、朝から冷房がはいっていました。だが待てよ、どうも夏太りの理由は?あまり冷房のあるところで動かない、汗をかかないってこれいいのかなと最近の腎機能の数字を見ながら考えていました。昨夜のたけしの家庭の医学、運動しても筋肉が弱る理由当てはまるなあと思ってしまいました。






 


 

nice!(7)  コメント(2) 

自己愛という問題 [自問自答]

 

  市の検診結果が出るのを待って、春から初夏にかけていくつか検査や診察を受けることが多い。今年も黄色信号から赤信号にかわりかけているのかなと思う数値が二つ、三つあった。でも治療が必要とまではなっていない要注意、気持ち新たにゼロ円健康法を頑張ることにしました。

 不特定の人に届けるブログ、書く必要があるのかなと思うことがしばしばなのですが、でも今の時代は一人一人のつぶやきや思いも大事なのではと思う。個人が消えてしまいかねない時代だから、いろんな形で人と人がつながったり、行き交ったり、そして社会が見える努力が必要なのではと思う。


 本棚に「喫茶店のソクラテス」という新時代工房制作の本が目に入りぱらぱらとめくっていくとまた読んでみたくなってしまいました。

 五人の哲学や社会学者による共著です。

 どう生きるか問題にならない人なんていない。今くらい混沌と先が見えない時代もない。みんな何かを考えている。そしてどこかおぼろげに気づいている。だが、もっと視線を広げて、深く考える事をさけているのかもしれない。

 今朝たまった新聞の切り抜生きをしていると資本主義の終わりか、人間の終焉か、未来への大分岐という新刊本のタイトルが目に入ってきました。今くらい哲学することが大事な時代もないのかもしれない。誰もが避けようのない今という時代をどう生きるか、一人ひとりの選択なのですね。

 この本は30年くらい前に書かれていますが今という時代にこそ読みたい本です。そして喫茶店での会話や議論のような楽な気分で読めることもいいなと思いました。


 ニュースを見ると憂鬱になってしまいます。見る回数を減らしています。結局自己愛のありかたの問題なのでしょうか。

憂鬱だが、失望ばかりしていてはいけないのだと思います。深い闇の向こうに明るい未来を希望し創造しなければならない。

 一即多、多即一。一は一であると同時に他、全体。サイの角のように一人歩め。自分に専心するということはより自分と他人を知り関心を持つことなのだと思います。

 

 







nice!(9)  コメント(0) 

老齢 [手紙]

老齢 

 

 お母さん、こんにちわ。 

お母さんとゆっくり話したいと思うようになりました。きっとこの年になったからなのですね。お母さんより二十年も長生きしています。 

ああ、いろんなことが思い出されます。 

この世の中に誕生してからの時間に比べれば、残りはわずかでしょう。その残りの時間のためにもこれまでの人生を振り返って考えてみたいのです。本当は長い時間なのにまるで一瞬の、昨日のことのようにも思われる。でもたどっていくときっといろいろな時間があったのです。 

 

お母さんは今はどこにもいません。私の心の中、記憶のなかだけです。直接会って話せたらどんなにいいかと思ってしまいます。 

昨日は娘の家に行きました。彼女が孫娘を連れて朝から夕方まで留守にしているので、あとに残った息子に昼の食事を用意してあげるためです。 

孫娘は新体操をしています。昨日、今日と二日にわたり大会がありそこに出ているのです。 

レッスンはきついのでしょうがやめたくないらしいのです。 

途中で買い物をして、千葉駅から娘の家にゆくにはバスです。帰りにまた駅で自分の家のための食糧を買い、一日に歩いた距離は1万歩ほどでした。最近は帰る途中でへたってしまって、公園で一休みしないと帰りつかないのです。一年の間にずいぶん体力がなくなっているのですね。 

 

 

お母さん、今日も孫のところに出かけたのですが、帰ってくるとへたってしまいました。 

本って本当にありがたいですね。今五木寛之さんの本を読んでいます。私は五木さんの名前を知っていても、五木さんは私の顔はもちろん名前も存在さえ知りません。でもリアルな空間では見ず知らずの人が私のそばで話しかけてくれます。そして私も五木さんと対話しています。今読んでいる本の名前は「人生の目的」です。心にしみます。 

 親友のように、師のように、私の疑問、迷いに耳を傾けながら一緒に考えてくださるのです。五木さんの本だけではありませんよ。まだ行ったこともない外国の、またとうの昔にこの世を去っている哲学者だって、私のそばに来て慰めてくださったりするのですから。

 交友関係も行動半径も経験の少ない私に広い世界へと広げてくれます。 書かれたものというのは書き手の深いところとかかわっていますね。

 

 1977年東京都板橋区高島平の団地の高層住宅から、小学校四年生(9歳)、次男(6歳)の二人の子を抱きかかえるようにして父親が飛び降り自殺した事件がありました。この事件について中村元さんが「自己の探求」の中で触れられている。妻に蒸発されまじめに働いていたが、子どもの世話につかれたといっており、ズボンのポケットには10円銅貨が一枚残っていた。子どもの手帳には「お母さん、僕たちが天国からおかあさんのことをうらむ。おかあさんもじ国へ行け、」と二人の兄弟の名前があった。 

このがん是ない子どもたちは何の罪もないのに自分が死ななければならないことを意識している。他の同年代の子どもが幸福に暮らしているのを知りながら。一番自分たちに愛情を持ってくれるはずの最後の人である母を恨んでいる。絶望のどん底にいる。中村さんは胸を締め付けられたと述べ、「自己の探求」を読んでいる五木さんもこの事件に言うべき言葉がなかったといわれています。 

お母さん、私も同じです。心が痛い、その痛さは思えば思うほど深くなってしまいます。そしてすぐに他人のことではなく、同じように子を持つ母としての自分に返ってきます。  

 お母さんが亡くなったのは56歳、私が高校一年生のときでしたね。 

今なら、お母さんといろいろ話ができたでしょうが、何も肝心の話はしないまま。あまりに早くお母さんは亡くなってしまいましたね。でも考えてみるとあそこまで生きていることが精いっぱいだったのですね。ありがとうって思います。 

お母さんに何もしてあげられなかったなあと思いますが、でも私はお母さんより長く生きて、そして恵まれていたと今思います。これまで恵まれた人生だったといえるなら親孝行しているといえるのかもしれません。親の願いって何か、老齢になってはっきりわかりました。 

 

 お母さんと毎日のように話しをする。これって昔の人が、今でもお年寄りなど仏壇の前に座って火をともし、お線香をあげて仏様と話をする、ああ、きっと同じ気持ちなのだなと思いました。私は仏教徒でないし、仏壇の前に座ったりしていないのですが、代わりにノート替わりのパソコンに書き込んでいるのです。 

おばあさんはとても信仰心が篤い人でしたね。私たちもおばあさんに倣って、朝顔を洗うと仏様に線香をあげて、お祈りしましたね。それからみんなが座って朝食でした。あれは私がいくつ頃の習慣だったでしょうか。 

 あの頃のことをいろいろ思い出します。おばあさんが特別信仰心が篤く、家に伝わる行事などを熱心に執り行って欠かさず、大事にしていた。一生家が大事で家族のことを考えて生きたおばあさんの心が今わかるように思います。ずいぶんおばあさんの身の上にはいろいろの変転があったのですね。波乱の人生だったことが信仰の厚さになっていたのだろうということ今思います。信仰といっても神仏、様々な神様、いわば多神教で生活習慣であり祈りのようなものなのですね。 

お正月には天照大神の掛け軸をかけ飾り付けをし、お盆も一家をあげての行事でしたから、仏教にも熱心で念仏衆が訪れていたのも覚えています。子どもごころに季節季節に、いろんな神様を祭る行事をしていたのが、何の変化もないのんびりした生活のなかの楽しみでした。その時々に決まって食べるお雑煮とか、お盆の時の黄な粉のおはぎとか、恵比寿さまの時のごちそうなど家族総出でつくる、夜の恵比寿様本番では用意した料理、果物などにひとりひとり思い思いの高い値をつけての買うのです。私は百万でこれを買いますなんて。待ち遠しくてうきうきしたものです。 

 終戦の時、私は五歳に間もなくなろうかというときだから私の子どもの頃の思い出の大半、お母さんと一緒だったのは 5.6歳から中学生のころのものと思います。 

お母さんは40代から50代美しい人でしたね。私の自慢でもあり憧れでもありました。あの時代楽しい思い出ばかりです。いまでも心に残る良い時代でした。しかしお父さんやお母さん、また一家にとっては茫然としてしまうような苦難の時だったのかもしれません。日に日に家の暮らしがひどいものになっているのは私ももちろんわかっていました。毎年張り替えられていた障子が、子供らのいたずらで破れたところだけ張り替えられるようになり、そのうち破れてもやぶれたまま、すすで薄い黄色に変色してもやぶれた下半分だけ取り換えたりと、障子紙が買えなかったのですね。 

 その頃は紙芝居のおじさんが回ってきました。たぶん一銭とか五銭玉でみずあめを買って見れたのだと思いますが、我が家ではあめを買うお金がなかったから、一番後ろで覗いていたのを覚えています。貧乏なことで辛いと思うことがなかったわけではなかったけれど、日が暮れるまで精いっぱい遊んで、家の掃除を手伝ったり兄ちゃんや父さんたちの野良仕事を手伝ったり、おばあさんの糸つむぎを見たり、味噌やしょうゆ、漬物など当時はみな家で作りましたから、子どもも直接生産する家族の姿を見て、手伝いもし大人も子供も暮らしが近かった。 

  

 しかしお母さんたちの心労、大人の心労は大変だったのでしょうね。 

 静かで優しい顔しか思い出せないお母さんなのに一度、狂女の表情でお父さんにつかみかかっているのを見たことがあります。何を争っていたのでしょう。お金がないことからのようですね。 

 私たちが後になって早くにお母さんをなくしたことは悲しいけれど、そしてお母さんにもっと長生きしてもらいたかったけれど、その後も生きていたらもっとつらい思いをしたに違いない、早く死んでよかったのかもしれないと話しあったたことがあります。

 江戸時代の終わりに生まれ明治、大正、昭和の時代を生きたお祖母さん、明治の半ばに生まれ、大正、昭和の三代に生きたお母さん、二人の女性の生涯を考えながら、私はお母さんに似ているように思います。 

 わたしが一番お母さんに似ているかもしれないと姉さんたちがいいます。顔ではなく、頼りない性格とかです。お母さんは私から見ても頼りない、心配になってしまうような人に思われました。生活力というか動物的ともいえる強さのようなものがあまり感じられない、だから私も心配で心細い思いをしたものです。猛々しい世の中を渡る強さのようなものがない、情けない人間。 

 生きる上で必要となる能力とか才能とか、美貌とか、環境としても頼れるような親類縁者、財力など何も持たない気弱な人間がどう生きていけばよいのか。

 難問ですよね。でも人は与えられたところで一生懸命生きなさい。与えられたものがどれだけであっても生きることができる。私は今はそう思っていますよ。自分に力がないことを知っていましたから、よく見て、慎重にバランスをとる、私に備わったのはそのことだけだったかもしれません。幸い、なんとかつつがなく平凡に続いてきました。 

 時代がよかったのだと思います。平和で復興にまい進していた時代ですから。

 お母さんが亡くなってから、高校卒業と同時に上京し、あまり家に帰りませんでした。

 何十年ぶりか、三十年くらいでしょうか。お墓がすっかり変わってひどく立派なお墓になっていることにびっくりしました。お墓だけはこれから先も残ることでしょう。当時の建物は全部ありません。裏庭があっけらかんと何もない空き地になっていました。

 お母さんが亡くなった後の事お母さんは知りませんよね。今の時代までお母さんが健在だったら今の時代をどう思うでしょうね。きっとびっくりするでしょう。 

でもお母さんにだから本音を言います。本当に良い方向に人間社会が進歩しているのか、私には疑問に思われてならないのです。 

 かわいい孫も生まれました。彼らが生まれてしまった以上彼らの時代が良い時代でなければならないと思っています。 

 お母さんへの手紙はこれからながくなるかもしれません。 

 

 

  


nice!(15)  コメント(1) 

いくつかの事件から思うこと

                                                   

 KIMG0760.JPG

 

 

 

 

 

 二イル著作のメモ 

 

 攻撃欲について。 

 最近のニュース、川崎の事件、京都アニメの事件も言葉にできないくらい恐ろしく凶悪な事件でした。ちょっと理解できない、ちょっとところか、どう考えても理解不能になってしまうような事件です。なぜ、何の関係もない見ず知らずの人の命、幼い子供たちの命を奪うことができるのか。理解することができません。 

 こんなに理解が難しい事件、昔とも違うものを感じながら、なぜこのような事件が頻発するのか、ただおびえ恐怖するだけでなくその理由、原因にせまり、このような悲惨な事件の犠牲者を出さない世のなかにしていかなければならないのだと思います。そうでなかったらいつもびくびくしていなければならなくなりますから。びくびくしながら生きなければならない社会はだれでもゴメンです。 

 二イルはこんなことを言っています。 

 子供の困った状態を起こすコンプレクスの原因を知るだけでは子供をよくすることはできない。教育者の仕事は子どもを治すということなどの必要のない世界を生み出すことである。 

 

 子どもを治すということなどの必要のない社会をつくること、とても重要な言葉だと思いました。でもどこからはじめたらよいのでしょうか。 

 

 子どもの性格の傾向が、初期におけるまちがった取り扱いと親の無知の結果であることを知っておどろいていると二イルは言いました。 

----問題の子どもというものはない。あるのは問題の親ばかりである。これは間違いではなかった。しかし、あるのは問題の人間だけであると書いたら、さらによかったであろう。

 

 原子爆弾が何ゆえ恐ろしいかという理由は、それが人生否定の立場の人々に管理されているからである。 

今日のような神経症的で、憎悪と闘争の傾向の、ゆがんだ感情生活を持つ病的な世界は、ライヒ(精神学者)も言っているように、人間の誕生の最初の瞬間から始まる。不幸な抑圧的な母親の胎内において赤ん坊がどのように成長するか。ゆりかごの中に自分の腕を縛り付けられて育てられた人が、人生否定の態度の人にならないと誰がいえよう。 

極めて少数の教育者たちがすべての子どもに善意を認め、自由を与えようとしているとき、大部分の子どもたちは懲罰,禁止、軍国主義、性的倒錯などの憎悪の人生否定の敵によって訓練されつつある。 

最近私は7か月を過ぎたばかりの赤ん坊が、お腹がすいて泣いたために母親にうたれているのをみた。 

生活と愛と働くことの自由は結局において勝利をうるであろう。 

人生は進歩すべきものという推定のもとに働かなければならぬがために、憎悪が我々すべてを破壊しつくすのを手をこまねいて待っていることは若き人々に対して、無力な裏切り的行為である。---- 

  教育者の仕事は子どもを治すということなどの必要のない社会をつくることであると。 

 そして人間の将来に果たして救いはあるだろうかを二イルは徹底的に究明しました。 

 

 生命否定の側にあるものは人間を憎悪と破壊と死に導くものであって、そこに絶対の救いはない。この意味において自由こそ来るべき世界の救いである。自由の中で育てられ、自由の中に教育されたものによってこそ、輝かしい将来は期待できると。 

 しかしわたしは二イルのいう自由を半分くらいしかイメージしたり想像することができませんでした。充分読んでいないせいかもしれません。子どもに自由を与える教育ということが現実の生活のなかではっきりイメージすることが難しかったということです。 

  存在と自由という問題がはっきりしきれませんでした。

 

 

 二イルの著作の翻訳をし、日本に紹介するとともにご自分でも教育者として仕事をされた霜田静志氏は戦後、家父長制の封建的な家庭が解体され、夫婦を根幹とする家庭の民主化が行われるようになりましたが、新しい立場に立って家庭はどのように調整されて行ったらよいか、子どもらに対する家庭教育はどのようにあるべきか、真の育成の場とするにはどうすればよいかを研究問い続けました。 

 家庭のあり方と家庭における子女の養育のいかんが実は世界の将来の運命を左右するものである。それゆえに家庭の問題は単なる家庭の問題ではない。世界の将来につながる重要な問題であると。民主主義も家庭から始まるのだろうと思います。 

 

  川崎の登戸で起きた事件、京都アニメ事件、それぞれの事件から報道される限りの中で、それぞれの事件がなぜ起きたのかを知ることはできません。しかし、事件を起こした犯人がどのように育ってきたのか、少し報道されたところをみるととてもおどろきました。自分だったらどうだったろうと。まだ自分で語ることも自分の気持ちを自分で考えることもできない幼ないときにどんなに失われた言葉、奪われた言葉、気持ち、感情があっただろうかと。とんでもない重大な結果との間にあるあまりに大きな乖離、それらを防ぐ手立てはどこにあるのでしょう。 

 

 7月23日朝日新聞に「あなたのため」という教育虐待というコメントがのっています。

2016年小学校6年の長男を包丁で殺害した父親の判決が19日言い渡されました。 この事件についての詳しいことを最近ネット上で知ったのですが、なんとひどい事件だろうと思いましたが、なぜこのような事件が起こったのかの背景を考えると見えてくることがあると思いました。

 なぜあなたのためという名の教育虐待が起こるか。殺害された長男の父は国立大出身で有名企業で早く出世、その父親(祖父にあたる)から同じような教育虐待を受けていたことが法廷であきらかになりました。それくらい受験というのは壮絶なものという認識がこの家庭には代々受け継がれていました。この家庭の受験に対する考えはこの家庭に限ったことではない、かなり程度の違いがあっても全体に共通するものでしょう。

 教育の目的は子ども一人ひとりが自分らしい生きる力を育てることができる子どもの人権と個性の尊重であるはずが、日本の大勢も国の教育政策も経済成長のための知育教育に偏ってきた、そこから自由であることはかなり難しい、そのひずみが親子を受験競争へ駆り立てているのではないかと思えます。

 

 「不幸にする親 人生を奪われる子ども」(ダン・ニューハース著)に不健康なやり方で子どもをコントロールしてばかりいる親は、気づかないうちに子どもの心に地雷を埋め込んでいる。親の有害なコントロールによって子どもが支払う代償は大きい。うつ、不安、貧しい自己像、自己破壊的行動、ストレスが加わるとすぐ健康を損ねる、などの傾向とともに、自分を大切にする感覚や伸び伸びとした自由を感じることがほとんどなく、生きている意味が分からない、自分を愛する気持ちがなかなか持てないなどネガティブな影響にくるしむことになってしまうことが書かれています。

 親が意識的にコントロールしなくても、親の生活状況や考え方も無意識のうちに影響しますから子どもに与える影響というのは親だけではない社会の在り方もあると思います。

  

 人間であるために大切な何かが欠けてしまう。それは悲しいことです。世代から世代への負の連鎖を引き継がないために、今どんな努力ができるかささやかでも小さくてもいい、一人ひとりが真剣に考えなければと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 


nice!(8)  コメント(1) 

[自己責任」という問題をめぐって考える。 [雑感]

 ネットを見ていると和田秀樹先生の「甘える」を異常に恐れる日本人という文が載っていました。(president online   2019.7.16)

 その内容について感じたことを二、三書きたいと思います。


 先ごろ、農林水産事務次官を務めていた人が44歳の長男を殺害するという事件があり、世間に衝撃を与えました。

 この事件について和田秀樹さんが考えられたこと。

 同じころ起こっていた多数の犠牲者をだした凶悪事件から、「息子があの事件の容疑者のようになるのが怖かった。周囲に迷惑をかけたくなかった」と動機を述べている父親について、和田さんは心理的視野狭窄だということ、なぜ周囲に助けを求めなかったのかという疑問を語られています。

 父親の判断は本当に視野狭窄だったのか、なぜ周囲の助けを求めなかったのかという二点について、これまでの家族の関係、どういう実態だったかが外からはわからないので、本当に父親の判断が視野狭窄だったのか、周囲に助けを求める(助けを求めたら何らかの状況の好転を期待できたかも含めて)状況とか環境があったのはわかりません。和田先生が言うように世間体とか見栄なのか、あるいは冷静な判断からか。

 まだ、社会の現実はたとえ公的な機関やそのほかに助けを求めたとしても解決できるといえないことが多いとわたしは感じています。(なぜそういう実態なのか、その理由は後で考えたいとおもいますが)そうではなく解決につながることもある、それも多いかもしれません。そういう現実ではないでしょうか。

 事務次官の彼なりの判断が冷静な判断でないとしたら、自分の手で息子を殺害するなどということができるとは思えません。半ば確信的に行為しているのですから。しかし殺害するなどということはどんなことがあってもしてはならないことのはずです。してはならないことはしないほうがいいのだとわたしは思います。

 それではどうなったか?長い時間がかかるかもしれません。さまざまな時間が積み重なって、父の考えた結果のようになるとは限らない、別のものになっているかもしれません。


 二つめの問題。「人に迷惑」を異常に恐れる日本人の病理といわれていることについて。

 人に迷惑をかけるなということは私も子供のころから常に親から教えられてきたなと思います。人に迷惑をかけることはとても自分でも心の負担だったから、人に相談したり、心配させたりしないで自分で解決する。人に甘えるのも下手、人を頼ることも下手、み方によってはこの上なく可愛くない存在です。内気で引っ込みジャンで何を考えているか、人に伝わらない。こんな心象は昔から日本人に多いかもしれません。

昨日NHKで「事件の涙」という番組をやっていました。大河内清輝君が同級生からのいじめを苦に自殺した事件は1994年に起こりました。今もいじめ事件が後を絶たない、悲しい限りですが、大河内清輝君の父がなぜ苦しいと話せなかったのかを今も問い続けています。なぜこんなに苦しいことを苦しいと親かだれかに伝えることができないのか、わたしにもその答えがみつかりません。

 和田先生は「甘えを認める文化から、自立へ」タテ社会は今も続いているが人に頼ることや救いを求めることが日本社会ではとてもハードルがたかくなっているのではと。甘える事は悪いことである。許されない社会に移行しているのではないかと指摘されています。

 その背景にあるのが競争社会と自己責任論で、さらにその上に日本の社会にもともとある強い同調意識が親と子をしばっていますから二重三重の苦しさといえないでしょうか。

 しかし欧米では最近、総合依存の重要性が強調されるようになってきているといいます。一人の能力は限界があるから、助け合える社会、心理的依存の重要性が指摘されはじめている。感情のコントロールや共感する能力、相互に依存し、人間関係を豊かにする重要性が、メンタルの健康度や判断、決断をも健全なものに、協同によるパフォーマンスを向上させるなど。このような指摘はとても納得がいく指摘のように思います。

 

 日本社会はもともと個よりも場を大切にしてきましたし、その時代は公共が個人を守る代わりに、個が場を守る限りにおいておおらかで伸び伸び屈託もなかったと思います。昔の子供より今の子供のほうがはるかに精神的にきついのではと感じます。心の優しい子供が人に頼れず、自分の中に苦しさを抱えて命を削っていくことは社会にとってもマイナスだと思います。








nice!(13)  コメント(2) 

自分の人生の主体という問題。 [自問自答]

 

 新聞の広告欄に懐かしい人の名前を発見しました。桜サクランボ保育園の園長さんだった斎藤公子さん。子供が生まれて間もないころ、この保育園を参観にいったことがありました。その保育方針にとても感動していたから。あの時から40年以上もすぎたのですね。

 人の育ち、教育今も疑問のなか、難しい問題ですね。

 

 自由と自己責任ということについて。

人によりその意味の取り方は違うように思います。

例えば、今の社会は自由競争の社会で、貧乏になる権利があるとかって小泉内閣の中心的閣僚で、今も影の実力者である竹中さんが言ったとか、直接聞いているのではないのですが、彼は今の社会にあって、すべて自己責任でどうにでもなる、住む家がなく路上に暮らすとしてもそれはその人の生き方の結果であり、そういう結果になったのは自己責任で、さらに自由でもあると考えるのだろうと思います。そう考える人が今は少なくないのだろうと思います。自由と自己責任論が多くの人を苦しめ追いつめていると思います。

 戦後復興後から今日までの歩みは経済成長と功利主義的豊かさの追求の中で、人間にとって大切なものを失い、疲弊していっているようにもみえます。

 個人の行動と結果を一直線で結ぶ考えはあまりに単純化した考えで、認識としても間違っていて、物事の一端をとらえた冷たい考え方ではないでしょうか。

 人の存在はそのようなものではない。彼は状況の中で自分なりの努力の結果として自分の思うところにたどり着いたかもしれませんが、人は一即多、多即一の世界の中で、様々な因果のかかわりの中の存在ですから、自分一個の原因にもとづく自由なんて無い。しかし、他ではない自分としての命、様々な刺激をうける五感を持ち、認識を持ち、生命力を持っていますから、その意味の限られた自己選択をしているといえるのだろうと思います。生きることは限定された自己選択の継続なのかもしれません。


 自由ではない、不自由の中で自分なりの生活、生き方がある、あるいはないかもしれないがあるとして生きる、自分なりの生を探求し続ける、それが生きることの意味でしょうか。つまり限定的な自由であると。

 人間に自由がある、結果は自己責任であるとする冷酷な考えが世界を闊歩しているかのようです。砲弾の下で命を落とす幼い命、親の虐待によって命を絶たれる幼い命、その命にどんな自由があったということができるでしょう。


 竹中さんは自由をはき違えているように思えます。少なくとも政治にかかわり、政治を左右する人の考えとしてどうなのでしょう。


 自分の思い通りに力をみせつけて相手を支配する、支配できない場合はあらゆる手段をつかう、場合によっては相手の生命を絶つ、人間のやってきたことは昔から同じ、常に一番大切なのは自分という名の利己主義です。そして力は正義と。それも人の価値観で自由ということができるのかもしれません。

 しかし同時に人は利己的なだけではなく自分と同じように他人にも同じ感情を持つことができる愛他的存在。それによって歴史は続いてきたしまた未来もあると思います。


 主体的に生きるということ、利己的に生きるということを意味するか、他とともに生きるということを選ぶのかの違いがあるように思います。


nice!(10)  コメント(3) 

どうしてもあふれかえってしまう。 [自問自答]


 年を取っていろいろ能力も衰える一方だから、自分に合わせて必要なものを取捨選択してと思うのですが、どうしてもあふれかえってしまいます。生活の交通整理がうまくいきません。本当にこれはまずいと思いつつ毎日が暮れてゆきます。


 西部邁さんの「文明の敵・民主主義」も読みかけのまま。他の本に気持ちが行っていたので、今朝改めて読もうと戻ってきました。

 今参議院議員の公示期間中ですが、投票する人は決めていますが、あまり選挙に期待できない。政治にも若かった時のような直接的な情熱を持てないでいるのも否めません。

 西部さんは本のなかで金狂いとなった金メッキ時代のような文明の崩壊・没落といわないまでも深い混迷と混濁の限りを見るものはそれが世論の支持のもとに進行しているのを目の当たりにして民主主義を疑えと構えずにいられないと述懐されています。

 またデモクラシーを信じるに足るものにするためには「デモクラシーへの懐疑」を手放してはならないともいわれていますがその通りだなと思います。

 国民の上に立つ統治者がすべてを良きに計らい、国民は安心してそれに従っていればよいぞというなら、国民は自分自分の考えや意見を持つ必要はなく指示に従っていればよいのですが、国民が主権者であるなら、ひとりの当事者として自分の考えや意見を持って国政に参加する必要があります。

 政治を担う一員であるには個人の主体性、自分の人生についていろいろの段階、場面における選択や選択責任の問題が生まれてきます。政治など意識しないとしてもどこかの国に生きているとしたら、これは避けられないことです。デモクラシーを信じるに足るものにするためには個人が自分の人生を主体的に生きる個人であることと他者も同じであることを認め共存する公の関係を作る努力が必要ということになると思います。

 そのことを理解したうえで、どう社会の一員として政治に参加するのか、その質が未来を作るのだろうと思います。

 でも自分の人生の主体であるということ一つをとってもとても難しい問題だなと思います。

 





 

nice!(8)  コメント(4) 

本棚の本と新聞切り抜きから [自問自答]

 終戦、敗戦、民主主義

 私の七十年はここから始まりました。

 物心ついた時が終戦ということはその前には戦争の時代があったということ、私にはあまり記憶がありません。片田舎だったから、東京のような大空襲の中で逃げ回ったり親兄弟、友人、親戚をなくしたりすることもなかったから、直接的には戦争を知らないといっていいのですが、只敗戦、戦争の傷はいたるところに残っていました。自分の家族の生活にも大きな影響がありました。戦争で何があったのか、なぜ戦争になってしまったのだろうか、戦争とはなんだろうか、そういう疑問に向き合うことからはじまった世代でもあったと思います。

 戦後民主主義が始まったころに小学校に行き始めました。戦争放棄と平和主義、民主主義をうたった新憲法はアメリカに押し付けられたと主張する人もいます。

 当時の国民はどう感じ、どう受け止めたのでしょうか。

 戦争のむごさにさんざんな思いをし、戦争がやっと終わり、重石のように常に心身を縛り、拘束していたものがなくなった時、人々は初めて自由を感じたのではと思います。

 中学の時、近燐の出身の学生たちが集まって開いていたサマースクールで私は憲法の前文を知りました。何度も読むうちに暗記したりしました。アメリカの押し付けかどうかは別の問題にして、私は憲法前文は人間社会の理想だと思いました。

 民主主義や基本的人権などの考えはアメリカによってこの時はじめてもたらされたわけではなく、それ以前から日本にも入ってきていて、大勢ではなかっただけです。

国を第一に考えて、国のもとに国民があり、国民は国家のために奉仕すべきという国家優先の国家主義的考えは昔からあり、国は国民のためのもので、国民一人一人が主人公であるという考え方は近代以降の新しい国家観として広まったと思いますが、二つの考え方の基本は大きく異なります。

 民主主義はアメリカの押し付けであり、それによって日本に利己主義が蔓延し、国(公共の場)として危機がひろがっているから戦前のような国家教育が必要という考えは民主主義とは反対のところから出発していると思います。 

 民主主義を標榜するアメリカでさえ、国は一部の力を持つ人の利益を代表することがしばしばで必ずしも公正とはいえない。民主主義は力関係なのだということもできるのかもしれません。民主主義はナチス時代のドイツのように簡単に全体主義にもなりうるものです。

 民主主義的社会において求められるのは社会の公正ではないでしょうか。社会の公正はどのようにして作り出され、保たれるのでしょう。

 民主主義の伝統が少ない日本で、憲法で民主主義がうたわれたからといって民主主義の底が浅いのは当然だと思いますし、利己主義と勘違いしてしまう人がいたとしてもだから戦前の国家主義への回帰が必要と考えるのはあまりに歴史から学んでいないのではないでしょうか。

 民主主義は相手の自由を尊重することとおなじように自分の自由も尊重される考え方、制度というか、約束ごとではないかと思います。多様性を基本に異なる人の生命を尊重し共生する制度と思っています。

 

 命を尊重するって身近においても本当はとても難しいことなのだと思いました。人はもともと自己中心的ですから。

 どこかで何か間違えたような気がします。ひどい世の中になっていると思います。ひどい世の中だなと思うだけでなく、個人的にも自分ももうちょっとよくわかっていれば、もうちょっとちがう頑張りかたをしていたかもしれないと思います。知らなかったとか、見えていなかったことに気づくことがあります。


 「登校拒否児」(平井信義)を読んで、今だからスルスルとよくわかる、当時はあまり理解していなかったと。まるで自分の半生の物語を読んでいるかのようでした。

 例えば、1歳から3歳までの間に形成される甘え、甘えられることによって育つ親と子の信頼や相互関係、安心がその後の成長にとって決定的ともいえるような重要性を持つということ、その重要性をよく知っていれば、親となるときに最初の間違いや不十分さを避けられるかもしれません。職業についていたり、忙しい親であっても、もっと意欲的に子供の育ちを楽しめるかもしれません。イライラからくる虐待などもなくなるかもしれないと思います。自分も忙しい親として虐待はしなかったけれど、自分では精いっぱいやっているつもりでも、放任任にちかかったところがあったかもしれない、それが当然のように思っていましたが。


 子育てをするための親の生活環境はどうでしょうか。社会的に保障すること、少なくと劣悪な労働環境など改善していかなければ少子化など解決できないのではと思います。


 登校拒否児の相談件数が多くなったのは昭和35年ころから、日本社会が戦後経済復興を遂げ、一般家庭の経済状態も良くなってきたころです。さらに昭和40年代になると増加の一途をたどるように。 

 昭和40年から60年代というのは日本経済が一番成長したときで、一時はGDP9%の伸びを記録し、IMDの国際競争力が一位に。現在は4.1%、国際競争力30位に落ちているそうです。あまりに経済成長の伸びだけを目標に追いかけてきた社会、今多様な生き方とかゆとりとかいわれてもそれが経済成長の視点のなかでいわれていて本当の人間の復興なのか、考えたいところだと思います。





nice!(13)  コメント(0) 

時代はかわるけれど、、、。 [自問自答]

   

 パソコンの不具合に悩まされています。あちこちで相談にのっていただいているのですが。具体的にはブログの記事を更新しようとまめに下書き保存をしながら記事を書くようにしているのですが、突然画面が切り替わってサーバーで技術的なエラーが発生しましたの表示が出たり、ときにウイルスバスタ-からこのウエブサイトは安全でない可能性がありますの表示になったり、せっかく書いていた記事がすっかり消えてしまって、下書き保存もできていなかったりと散々なことが。もともと意欲が薄れているので、パソコンを開くのが間遠になりました。

 

 時代はどんどん変わるのでしょうね。でもその変化、この百年くらいの間に起こった変化は過去に例がないのではと自分勝手な感想なのですが。近代から現在。この間に二度も世界大戦を繰り広げ、世界戦争にまではならないにしても、国家間、民族間の戦争は何度も繰り返され、開発は宇宙にまで及んでいます。もしこの先大きな衝突になったら、人類の終わりになるかもしれない、取り返しの利かない禍根をのこすでしょう。

 昔と今の時間を考えると一年の長さが一日くらいの速さのように感じられる変わり方ではと思うのですが、私はそんな未来に楽観ばかりできません。

 社会は進歩し発展する様にできている?そしてより幸福になると?なんかひどく無邪気で手放しの楽観のように思えます。

でも今世界が進んでいる将来は暗いなんて言うことができるでしょうか。これから育つ子供たちに。そんな風に言いたくないのです。明るいといえる根拠、明るいと信じられるそれだけの自信を今の大人は示さなければならないと思います。


 成長と経済発展をいちずに追いかけてきた人類、その中で成し遂げてきた目覚ましい科学技術の発展ですが、そこに存在していた人たちの一つ一つの一生が疎外され置き去りにされているなら、人間疎外が進むその進歩にどんな価値があるでしょう。

 どんなところで人間疎外が進んでいるのか、どうしたらそのような人間疎外から脱却して自分らしい生を作り上げていけるのか、そんな疑問との付き合い、考えてみるとずいぶん長かったと思います。


 

 








 


 

nice!(10)  コメント(6) 

終活はじめ [雑感]

   

 明け方目を覚ましてから床に就いたまま、考えていました。昨日はシニア体操の日。参加している人は同世代、昨年から私も仲間に加えてもらって楽しく体を動かしています。市の検診では問題の数値がいくつかあるけれど、要観察で何か治療が必要という状態ではないということなのですが、やはり適度の運動と栄養管理は欠かせないと思っているところです。あと一、二年は何とか今の健康状態を保てそうなので、この間に家の中の整理や生活の見直しを終えたいと。しかし、いつもどこから始めるかが大問題でいつの間にか尻切れトンボになっているのです。どこからでもいいや、とにかく目についたところからはじめようと。あとは途中でやめないこと。そんな決心、固い決心をしたのでした。

 埃をかぶった本棚、湿った紙タオルで埃を取り、本を並べていたら、読んでないけれど読んでみたい本、もう一度読み返してみたい本が次々目について、何十年か以前に出版された本ですから、今本やさんには並んでいないでしょう。捨てるには勿体ない。いつか読みたい人があったら気軽に読んでもらえたらと、昔本のある喫茶室みたいなものが欲しいなあと買い集めていたころのことを思い出します。

 平井信義氏の本もありました。たまたまページを開くとこんなことが書いてあります。

 「まかせる」という教育は自主性の発達にとって、かけがえのないものである。まかせるということを提案すると「放任しておけばいいですね」と答える両親が大部分であるが、「放任」とは正反対である。「まかせる」ということは子どもに生活上の責任を負わせることで、責任を負わせるには「自由」が必要であって、「自由」を与えるということは「責任」を育てるには欠くことができない条件である。登校拒否を起こすような子どもは、過去の生活のなかで「自由」を与えられなかったのである。

 この本も子供を育てる途中で読んでいたのですが、中途半端にしか理解していなかったと今思いました。

 人の理解というのはこんなふうに中途半端で足して二で割るようにあやふやなものなのですね。

 時々こんな風に道草をしてなかなか進まないのですが、ああ、かたい決心はとにかく続けることだ。








 






 

nice!(12)  コメント(4) 

自分(存在)と自我    (前回からの続き) [雑感]

 前回二つの事件から、私は個人が一人の人間として自分を確立することの難しさという問題、それが現代という社会のひとつの重要な問題ではということを書いたのですが、そのことをもう少し詳しく考えてみたいと思いました。

 省庁の事務次官という官僚としてトップにまで上り詰めた人でも親として苦しみぬいた挙句息子を殺害するという痛ましい事実、生きるということはなんとむごいことだろうかと思いました。

 生きることの厳しさむごさはこの人だけの問題ではない、もともと生きるということはそういうことで何所でもありうることだと思います。

 家庭内での子供の暴力、登校拒否や引きこもりなどがあちこちでめだって多くなったのは1970年前後からでしょうか。子供の家庭内暴力に思い余った親が子供を殺害する、逆に子が親を殺害するという今回の事件に似たことは今に始まったことではなく、社会の構造や文化、文明の問題とふかくがかかわって多くなってきた問題なのだと思います。

 本多勝一氏の「子供たちの復讐」のなかで稲田博氏と本多氏の対談がのっています。稲田氏が、「このごろの子供の満足には、人間の値打ちといいますか、幅広くて深い洞察力を持つ人間になるとか、豊かな心を持つ人間になるというのはみんな消えていますね。満足できるのは点数と物です。点数がよくなければ楽しくないし、金で物を得なければ喜びを感じない。物を介さない人間の価値ということに対して、このごろの思春期から青年期にかけての子供たちは否定的な発想になっている」というようなことをいっていらっしゃいます。

 さらに家庭内で親に対して暴力をふるっていた開成高校生の親もめちゃくちゃに息子の尻をたたいたわけではない、塾に行くのも世間並みに、勉強も世間並みにやらせたにすぎない。”世間なみ”自体がもうそうなっていると。犠牲が多くなるだけでなく、このまま進めば将来民族の滅亡につながりかねないという危機感さえ稲田氏は感じておられます。

そして事実このような事件はその後なくなったわけではなく、深く潜行していじめや虐待、薬物依存、自殺、傷害事件、引きこもり、他殺などの形で広がっているように思われます。


 そこにどんな問題が横たわっているのか簡単に答えは出ません。ただ漠然と今日では日本だけでない広く世界的な人間の基本的な問題(普遍的な命題)のように思えます。

 ある本を読んでいたとき、そこにこんな言葉がありました。

 子供の幸せを願わない人はいないが、子供の姿が正しく見えなければ、すべて徒労に終わりかねないと。

子供の姿が正しく見えているか。どれだけ子供が見えているのか。

A.S.二イルは先入観を持たず子供をありのままに観察してほしいといっています。また宮城教育大学長だった林竹二は子どもを既知のものとしてみるのではなく、いつも未知のものとしてみた。子供からすべてを学んだと語っておられます。

 また別の機会に

 親と子の行き違いはありふれている。当然なのだが、親のほうに行き違いについての自覚がなく、この行き違いを補う子供社会もうしなわれているとしたら。という言葉にも出会って考えさせられました。

平井信義はその著書で、すべての親は子供の発達段階についてもっと勉強してほしいといわれていますが、私も自分は親失格だと悩んだことがありました。今でも無知だと思います。


 すべての人(親)はその社会の価値観のなかで生き、仕事をしてお金をえて、子供を育てることができます。ですからその社会が持つ体制の価値観から抜け出て自由であることはとてもむずかしいことです。積極的にその価値観をとりいれてその先頭にたつようにしたほうが自分の利益になるということもあるかもしれません。そう思うのが自然かもしれません。

 ここに二つの問題が出てきます。社会によって個人(自分)の意識は規制されているのかという疑問、個人はあくまで受け身の存在で主体などない、私とか自由などはないという考え方と個人は社会の中の存在で切り離された独立した存在ではないが、個人、自分意識があるという考え方。わたしは後者、存在(リアル)と自我(主観とか自己意識)があると考えています。

 そこで後者の考え方をしたとき、社会の中の存在であることと、自分の自我のかかわりです。

 どういう自己意識や価値観をもつか。

 国と国の距離が縮まり、世界のつながりが緊密になり一つの世界になりつつある中で、経済や自然環境、文化や文明と命の問題が基本的普遍的な問題として、すべての個人にとって避けられない問題として登場しているのではないでしょうか。



 



nice!(12)  コメント(2) 

自分(存在)と自我、父性と母性について。現代に生きる個人の問題を考えて。 [雑感]

最近のニュースを見て思うこと。

 なんの咎もない子供を巻き添えにした川崎多摩区で起こった死傷事件、痛ましいあってはならない事件、家族関係者のくやしさ、悲しみを思うと言葉がありません。続いて起こった高級官僚が息子を殺害するという事件など、このことは人間社会の根本的な問題だと思いました。

この記事を書く難しさから文章を更新することにためらいを感じます。でも一方でこんな悲しい現実を少しでもみんなの力で変えてゆかなければならないと思います。このままいったら、安心して暮らすことがとても難しい社会になっていくのではないかと危惧しているからです。


 人間はなぜ戦争や争いを繰り返してきたのでしょう。

人は戦争や争いばかりではなく、共同しながら助け合ってきたこともたしかです。もしかしたらその力のほうが大きかったから人類は生き延び発展することをしてきたのではないかと思います。

日本は四方を海に囲まれているために、国がかわってしまうような外国からの襲撃などを受けることもすくなく、伝統が受け継がれ、母性的原理が強い社会といわれていました。そこでは社会の頂点に天皇とか藩主や将軍などを置いて、その統治のもとに暮らしを成り立たせてきました。

 成員の一人一人が国を作っているという個人を主体にした民主主義的考えは日本が終戦を迎えた戦後まで多くの国民のものではなかったと思います。

 個人が国を作っている意識がなければ、他人が守ってくれたり、だれかか決めてくれたり、その力を頼みとするわけですから、自分が判断したりする必要がない。個人がすることは集団や他人など場を尊重しその中で努力し従う事です。そのことによって自分も守られてきた。「母性社会日本の病理」のなかで河合隼雄さんは日本の母性原理の中に父性原理が殴り込みをかけてきたのが戦後であるといわれています。母性原理の伝統が簡単に変わるわけではない、民主主義や個人主義を利己主義と取り違えて解釈する人も出てきたといわれます。

 日本人に主体性がないとよくいわれますが母性社会の長い伝統の上に築かれたものでしょう。集団や場を尊重する独自の文化を発展させましたが、そこに悪いところもあると思います。その一番が個の主体性が育たないとか自立の弱さ、困難、だれも責任を取らないで全体の責任、それが逆転して総無責任になることなど。

 集団や他を考え、場をたいせつにする調和を重視する文化は個人の自我を基本にし自己責任を基にするアメリカやヨーロッパ社会と反対と言えるくらい個と社会についての考えがことなると思いますが、わたしはどちらも大切、個人が尊重されるべきだし、個と個の関係(社会、公共)が尊重されるべきと思います。

これからの社会ではすべての個人が生かされて生きる事ができる社会であってほしいと思います。


 今回の二つの事件から、私は個人が一人の人間として自分を確立することの難しさという問題を感じました。

元農林省事務次官が息子を殺害するに至った気持ちは痛ましい限りです。1970年代に息子の家庭内暴力に

行き詰ったあげく息子を殺害するという高校教師の痛ましい事件がありました。このときも殺された息子の人権はどうなるのかと大変な論争になりました。

 個人が社会の一員として生きるためには他人や社会とつながり、そこで存在が認められて受け入れられて初めて生きることができます。個人と個人がつながる社会との問題です。

 川崎市多摩区の事件で容疑者岩崎隆一について報じられているところを見ると親族を含め、社会との接点を持たないで生きてきたことを感じます。事件の朝、初めて隣の人と出会ったとき、おはようございますと挨拶しています。おそらくその時彼は事件を起こし、いずれかの時点での自死を覚悟してこの社会から消えることを決めていたのでしょう。育った環境を見ると親からも、おそらく周囲からも社会からも切り離されて長い時間を過ごした末の結論であったのだろうと思います。なぜ彼はこんなにも孤立孤独だったのでしょう。さらに彼はなぜ自死にあたって、多くの見ず知らずの他人に攻撃の刃をむけたのでしょうか。本人が生存していない今になっては、その手掛かりとなるような遺書も文書もsnsなどもないそうですから、はっきりと知ることはできませんが、あまりに孤独な子供のころからの環境にたいする意識的あるいは無意識の抗議のようなものも感じます。

 彼の行為を弁護するわけではなく、あまりに孤独なその姿に異常ともいえる現実、日本の一つの現実を思わされました。

 「死ぬなら一人で死ね」という投稿をめぐって論争が起こっているるようです。

 自分なら、どんな理由であれ、人を殺めるようなことはできない。自死するならひとりで死にたいと思うでしょう。場合によってはなぜ死ぬか書き残すかもしれません。自死は自然なものではない、本当はあってはならないことをするのですから理由を書くことは残される人へのせめてもの愛なのだと思います。彼には他者への愛はなく、憎しみか恨みがあってそれを表現したのかもしれません。


 人は誰かから何らかの形で認められ受け入れられて初めて人となり、また社会の一員になる。それは真実だろうと思います。それをどう実現していけばよいのでしょう。

 平井信義氏の「失われた母性愛」を読んだとき、悪人正機という言葉の意味が分かったように思いました。

 母性愛というのは他人への気配り、気づかいであり、慈しみや相手を思うこと。存在をまず認め受け入れることですが、父性原理の強い社会は自分の考える正義で相手を裁き、排除したり切除したりします。

現在の日本には強い父性原理がはたらいているのではないでしょうか。それと同時に同調行動も強くあるように

思います。

 次回父性原理と同調行動の問題、個性と子供の発達をどう支えるかなど考えたいと思います。








 



nice!(10)  コメント(2) 

歴史と自分(存在)、自我の問題 [雑感]


パソコンが修理からやっと戻ってきましたが、再設定に四苦八苦して、パソコンの初歩から勉強しなおし状態です。[ふらふら]



 また悲しい事件が起こってしまいました。二度とあってはならない事件なのに言葉がありません。


 現在の日本、過去からかんがえて人間の理想に向かってずいぶんと進歩していると思います。それは信頼していいと思うのですが、何か大事な視点を欠いたままこのまま進むと人類の未来が進歩どころか大変なことになってしまうのではないかと危惧するところがあります。


 歴史を考えてみたいので、以前このブログで書いた下書き保存を載せたいと思います。


 「昔の友人へ」2018年から


 風かおるさわやかな季節になりましたね。
 早速大切なものをお送りくださいましてとても恐縮しております。ありがとうございます。早速妹さんの書かれたものを拝見しました。妹さんが今いらっしゃらないことお姉さんとしてはどんなにか心残りのことと思います。ご兄弟姉妹がどんな艱難辛苦の子供時代を過ごされたか、私には推し測っても想像できないことがあることと思います。お父様やお母様の苦労を思い皆様の思い、自分の課題どうつなぐか重い課題と思います。
 憲法改正の動きが急ですね。秘密保護法、集団的自衛権など一日たりとニュースに登場しないことがない今の時代をどう考えたらよいのでしょう。
 またお手紙します。まずは届いたお知らせと御礼まで


 あなたからの分厚い郵便物を受け取ってもう半年以上がたちますね。

 振り返ると思い出すことがいっぱいです。ずいぶんお世話になったことも。仕事を辞めてからはすっかりお会いすることもなくなってしまいましたが、忘れたことはありません。それだけわたしには印象深い深いつながりだったのですから。あなたが送ってくださった文集を今広げて読んでいます。

同じ世代の人が戦争の時の思い出を手記にしようと書いた文集。それを今読み返しながらあらためて、「命を断ち切る戦争」ということ、苦しんだ人間が生み出した信念「非戦」こそリアル、対話こそ希望といったコラム記事の言葉につよく同感しています。


 安倍政権の支持が不支持を上回っているとマスコミが報道しています。憲法改正が現実の日程に上ろうとして、改正に賛成の政党が改正の必要がないとする政党を上回っています。公明党は加憲と言っていますが、武力による解決は放棄するということを本当はどう考えているのか、あいまいはっきりしない主張ですね。

選挙のたびにあなたが食事もとれないくらいとても落胆されていたのを思い出します。そのことは私も同じですが。

急いで結論を出すべきではない、それはとても危険なこと、また出せないくらい複雑な問題、様々な角度からの議論が積み重ねられて明日の世界を明るいものに、その可能性がみえるのだろうと思います。


 とりあえず、あなたから頂いた手記のコピーに戻ります。(続きは前回にあります)


                                                                                       

                          

                                                                        

                                                                          

 



nice!(10)  コメント(0) 

子供だったころ

 友人から送られた文集からの一部掲載です。掲載は友人の承諾をいただいています。




  いつ消える心の傷


  私は江戸川区平井に生まれました。昭和20年8月15日、私は六歳で、その日のことは覚えていません。

 平井にいた頃は、母親たちが一生懸命バケツリレーで火を消す訓練をしていました。父が家族のために作っていた防空壕に、警戒警報のサイレンが鳴ると昼夜を問わず入らなければなりませんでした。夜はいつも電気に黒い布が掛けてありました。

 昼間、サイレンが鳴ると皆防空壕に入ってしまって誰もいなくなってサイレンだけが鳴っていました。それがとても怖くて「泣いてはダメ!」といわれると余計大きな声でこれでもかと汗びっしょりかいて泣いていました。

 戦争が次第に激しくなり、疎開していくのでしょうか、一人減り、二人減り、いつの間にか周囲は空き家になってしまいまし た。母もだんだん心細くなったのでしょう。父の実家、長野県に疎開しました。疎開した次の年に終戦を迎えたのだと思います。何年何月だったか覚えていませんが、母のもとに白い四角いものを持ってきた人がいました。父の遺骨だということです。母も姉たちも泣いていました。私は父が帰ってきたというので不思議に思いました。こんな箱の中に父がいるのだろうかと。

私は持ってみたかった。誰もいないとき、床の間においてある白い箱をもって見たら、あまりの軽さにしりもちをついてしまいました。

 だんだん生活も苦しくなり、家具類もいつのまにか消えて借りていた家は広く感じられました。

 その頃から母のいなくなる日が多くなり、いつの間にか母も帰って来なくなりました。

 私と4歳下の弟はよく遊びました。床の間の父の遺骨でお化けごっこをしているうちに怖いのか、きっと寂しかったのだろうと思います。泣いてしまいました。私が泣いたので姉たちもみんなで泣いてしまいました。私たちだけでは生活できないので父の兄の家に引き取られました。その頃はどこも生活が苦しいためいつまでも一緒に生活ができず、姉二人、弟と皆バラバラに別れることになりました。小学校三年のころだったと思います。

 私にとって戦争とは、家族の誰かが居なくなり、住む家もなくなり、食べるものもなく、ひもじい思いと家族がバラバラになってしまうということです。だから戦争はいやです。

 今、私が思うことは、人の親切で私たちも生きてこられたし、親子がまた一緒に生活できたけれど心の傷はいまだに消えません。

 広島や長崎で原爆にあった人達はもっと悲惨な思いをされたと思います。心の傷は隠すことができますが、人の前にでられない身体にした戦争、原爆を二度と落としてはいけません。落とさせてもいけません。(M)




 

 昨日のことのように思い出すー悲しいこと、恐ろしいこと、でも私たちは生きていた。


  満州で敗戦を迎えたとき、私は7歳だった。まだ子供だったけれども、その前後のことは忘れることもなく、時として昨日、今日のことのようにはっきりと浮かんできたりする。

 昭和20年5月15日、父は出征兵士として、多くの人々に見送られ我が家を後にした。兄と私は父を送り、遠く離れた神社まで行き、そこで三人で参拝した。最後に父が私たちに何か言ったかは覚えがない。兄が右手を挙げて敬礼をし、父も同じく敬礼をした。私もあわてて父と兄と同じことをする。女の子は頭を下げればよいのだと知っていたのに。

帰り道、あいさつもできなかった自分が恥ずかしく悲しくなりながら、兄の後から兄を見失うまいと歩き続けた。

 昭和20年8月15日、敗戦。近所の日本人がどんどんと少なくなっていった。母は「戦争が終わったのだから、必ずお父さんはこの家に帰って来ますからね。ここで待っていましょう」といつもそう言うのだった。

秋は過ぎ、大陸の冬は駆け足でやってくる。昨年まではスチームが入っていた家も、もう自分たちで、ストーブの燃料も手に入れなければならない。食糧はもちろん燃料を手に入れることも大変なことであった。

真冬のある日、母と私はリックサックをしょって、鉄道の線路上を列車を避けながら、コークスを拾って歩いた。その日はいつもよりたくさん落ちているではないか。夢中で拾っていた。突然、目の前に黒光りする銃を突き付けられた。子供心にもその意味することはすぐにわかった。あまりの恐ろしさに声も涙も出ないのであった。数人のソ連兵が立っていた。見渡す限り人間は私たちとソ連兵だけである。そこは石炭倉庫。

 その時、その中の一人が私を手招きする。母の顔を見ると大きくうなずく。私はゆっくり兵士たちのところに歩き始めた。ほかの一人が石炭のひと塊をリックに入れてくれて背中を押す。母のところまで歩くのがやっとの重さ。すぐに持ってもらった。その間、私には人間の言葉を耳にしなかったように思う。零下20~30度とも言われる冬の日、母と娘は言葉を忘れて歩き続けた。

 春が過ぎ、夏になった。

 昭和21年7月のはじめ、坊主頭になった母は男性の洋服を着、子供たち4人を連れ、大陸から日本へ向かって出発した。

 「夏の暑いうちに南へ行かなければ、、、」と。来る日も来る日も昼は山の中で休み、夜になると歩きだす。兄は2歳の弟を背負い、母が妹を背負い、私は母の手をしっかり握り、南下した。

 貨物船に乗り約一か月、その間、船の中で栄養失調、病気で死亡する人が多かった。その人達はみんな海に捨てられていった。ようやく佐世保に上陸し、丸二日間、熱い貨物列車に乗り、茨城に到着する。弟は眼だけ大きく、服が出て栄養失調と一目でわかる体になっていた。

 父の故郷茨城の駅には従妹が待っていた。真夏2か月間もの逃避行の末にたどり着いた私たちを見て、さぞ汚らしく、こんな親族を恥ずかしかったろうが、近づいてきて、「おばさん達ですね。お迎えに来ました」とあいさつをした。白いセーラー服の16歳の従妹は小さな村の駅に立っているだけで美しい絵であった。ここから歩いてすぐですよ。あの山の向こうですと言い自転車の後ろに弟を、前に妹を乗せると歩きだした。「もう、ここでいい。今日はここでもう寝よう」と私は何度も同じことを言いながら、一時間以上も歩き続けて祖父母の待っている家に帰りついた。夕暮れの山々はまるでシルエットのようであった。

 昭和21年9月1日ようやく5人全員が畳の上で寝た。弟も命が助かるのだった。

 昭和27年9月7日行方不明のため戸籍上抹消するという知らせで父の葬式をした。県から小さな箱が届く。その中には父の学生時代の柔道着の写真が1枚入っていた。私は父の顔というとあの写真の顔しか浮かんでこない。


 昭和63年8月  私たち5人は生きている。

 私は命の尊さ、大切さを思い何度子どもたちに話したことか。最近では「またですか」などと相手にされないくらいである。生き残ったものは小さな声でも戦争に反対しなければという共通の思いだけは5人とももっている。5人が集まるとそんな話になってしまうのである。   

                                    (S)


  


  文集にこんな歌がありますね。

 

   こんな歌知っていますか?

 

   勝ち抜く僕ら少国民

   天皇陛下のおんために

   死ねと教えた父母の

   赤い血潮を受け継いで

   心に決死の白襷

   かけていさんで突撃だ


  むかし少国民だったAさんは今でもすらすら歌えちゃう、愛唱歌だったと言っていますね。私は小さかったから聞いたこともなかったのかもしれません。

 戦争は自分の国だけが勝てばいいというものではありません。自分の国だけが犠牲者を出すのではない、どちらの国でも傷つき命を落とし生活が破壊される。しっかりそのことを見なければならないと思います。 

 幼い子供から永久に父を奪ってしまう。一人で4人の子供を守ったお母さん、あの激しい弾圧のなかで戦争反対の運動をしていたご両親をずっとあなたは尊敬していらっしゃった。宮本百合子を卒論に選んだことも話してくださった。あなたがお兄さんについてひどく否定的な発言をしたことに驚いたことがあります。その後もお兄さんについて伺うことはなかった。過酷な体験のなかで長男であり、男としてお兄さんの生き方があったのではないかと思いますが、兄弟まで裂いてしhまう戦争悲しいことだなと思いました。

 私が職場をやめるとき、あなたは一言だけ淋しいですと言われた。その言葉は忘れていません。別れとは思っていませんでしたし、今も同じなのです。

 

  生まれてくる命が大切にされる世界、人間と自然の共生は過去から未来へ向かって人類の課題であることはかわりありません。


      





















nice!(6)  コメント(6) 

歴史の動きの深層に何があるのかという問題と自分。 [自問自答]

 「失われた母性愛 子育てを楽しむために」を読んで感じたことをまとめたいと思います。


 何か混沌としか言いようのない複雑さの中で漂流しているかに見える世界、でも実際は科学技術や文明の発達が人々の距離をちぢめる一方で際限なく拡大発展する世界をつくりだしているように思えます。個人はその時代を漂うあくまで小さな旅人、部分であり、偏っていて、さらに未熟。チリのような存在かもしれません。そのチリのような小さな存在である個人の意味はどこにあるのでしょうか。そして個人はどう生きたらよいのでしょう。


 私が生まれた年は昭和15年でした。すべての政党が解散し、大政翼賛会が発会した翌日の誕生で、これから一挙に太平洋戦争へと突き進んだ時代です。それから終戦、戦後の復興期、経済発展から今日までの約八十年近くの間におきた変化は想像だにできないような大変な変化です。もし浦島太郎のように今の時代に戻ってきたらどう感じるでしょう。


 「失われた母性愛」というタイトルを目にして、そもそも母性とか父性とは何かを改めてしらべてみました。

 とても詳しく参考になったのは河合隼雄氏の「母性社会日本の病理」の中のーーー母性社会日本の永遠の少年たちの章、母性原理と父性原理、倫理観の混乱、自我確立の神話、永遠の少年、イニシエーションなどでした。


 父性、母性はふつう母なるもの、父なるものとも捕らえられますが母性原理は「包括する」機能であり、父性原理は「切断する機能」といわれます。


 母性においてはすべてのものの良し悪しを問わず絶対的な平等性をもつのにたいし、父性原理においてはすべてのものを切断し分割し、分類します。母性が「わが子はすべてよい子」としてすべての子供を平等に育てようとするのに対し、父性は「よい子だけがわが子」という規範によって子供を鍛えようとする。父性はこのようにして強いものを作り上げていく建設的な面と、逆に切断の力が強すぎて破壊に至る面の両面をそなえている。(著作から)


 著者は現代日本の社会情勢の混乱の多くは、父性的な倫理観と母性的な倫理観の相克の中で、一般の人々がそのいずれに準拠してよいか判断が下せないでいること、また、混乱の原因をほかに求めるために問題の本質が見失われていることによるところが大きいと考えられています。

 

 もう少し父性原理と母性原理という問題を考えてみると包括する機能と切断する機能は男女の別を問わず、一人の人間の無意識、意識のなかにある働きと私は思います。その働きは個人の命、いきることそのもので他者や世界とつながります。母性は存在そのもの、父性は人間の意思とか意識とか認識と読み替えてもいいのかなと思いました。

 

 「失われた母性愛」の著者平井氏は昭和28年、世界保健機構のセミナーで母性愛の喪失という言葉を始めて耳にしたときの驚きを語っています。なぜなら、著者はそれまですべての母親が子供をかわいがり、子供のために犠牲になることを辞さないと信じていたからです。母性愛の喪失という事実が欧米の母親に起きていて、日本のこどもは幸せだなあと思ったそうです。

 しかし、その後、わが国の母性的行動の現われが愛情に裏付けられていないことをしり、母性的本能への疑い、動物の母性行動がホルモンによって支配されていて、愛情を形成する能力は人間にのみ与えられていること、そしてそれは形成される性質のもので、人間関係が重要な意味が持っていることを知るようになります。それ以来、母性愛の構造と形成過程について考え続け研究の結果がこの本になっています。

 著者の言葉の中で、重要なことは愛情を形成する能力は人間にのみ与えられていること、母性愛は本能ではなく形成される性質のものであるとあきらかにしているところだと思いました。

 

 女性の本能ではなく形成されるものであることをこの書物によって理解できたように思いますし、母性愛とは何か、それはどのように育てられるのかを知って、現代の絶望的になりそうな世界で将来に希望を持つことが可能なのだと信じることができたと思います。

 

 次回なぜそう思えたのかについて書こうと思います。

 


 

nice!(11)  コメント(2) 

あなたはどこへいくのです? [自問自答]

 あなたとはわたしです。つまり私が私に向かってあなたはどこへ行こうとしているのという意味です。どこへ行こうとしているのか、簡単にすらすらと出てくる問いではなく、毎日毎日繰り返しながら、とりあえず、とりあえず、、、今は元気でやらなければならないことがある。やらなければならないと思うことがあることは生きている意味なのでしょう。

 失われた母性愛(平井信義著)を読んで改めて自分の子育てを振り返りました。そしてこの年齢になったからこそわかること、この本を買った当時には気づかず、深く考えることもないまま済ませてしまったこと、この本が書いている内容の意味、重要さが身にしみるとともに、母性とか父性ということ、なぜ母性愛が失われているのか、今日的意味、また人類の将来について考える意味でも深い示唆に富んでいると思いました。

 まだ読み終わっていないし、パソコン操作も使い勝手が悪いので後日詳しい感想を書きたいと思います。

 

nice!(10)  コメント(0) 

明るい陽ざし

あかるい陽ざしに緑一色の公園、散歩に行くとボタンはすでに終わってしまったらしく、代わりに芍薬が満開、白色のつつじは咲き始めの青みを失って最盛期をすぎようとしていました。わずかの間に季節は足早に変わろうとしているようです。古代はすの蓮池のほうに歩いていくとすでに新芽が水面からかなりのびていました。さらに池に沿って進むと菖蒲がずいぶん花を開いています。見ごろもまじかでしょう。


連休といっても関係ない生活です。相変わらずやらなければならないことはいっぱいなのに、ちっともはかどらない感まんさい。おまけに掃除機が故障、パソコンが故障、やれやれです。掃除機はなくてもほうきと雑巾があれば掃除はできます。電気も使わないで、使うのは体だけだから省エネ、健康的かも。しかしパソコンはないとだめなことがわかりました。修理にだすことにしました。家族のパソコンを時々使っていますが、画面が小さいので使い勝手がわるい。だから殆ど使いません。

本棚に二冊面白い本をみつけました。「薮の中の家」芥川自死のなぞを解く(山崎光男)と失われた母性愛(平井信義著)です。何でこれまで読まなかったのかと思うくらい、今自分が必要としている本だと一生懸命よんでいます。

パソコンが修理から帰ってきたら、この二冊の本について考えたことを書きたいと思います。



nice!(15)  コメント(3) 

2019-04-30

 短い添え書きとともに友人が一冊の小冊子を送ってきてくれました。出版の話がでていた文芸誌9号が長い休眠から一歩を踏み出したのだそうです。拍手と声援を送ります。三人と少人数ですが、中身はどれも濃い力作で衝撃でした。

 国会前を埋めつくす抗議の人の波と政治の間、新聞のアンケート調査でも政府を支持できないという人の数字の多さにもかかわらす、安定をのぞむ声が大きい。どこか政府と国民の意識に大きな乖離があるのではという印象がぬぐえない。そんな昨今の不透明な時代のなか

「歴史の吐息」の敦史の何か足りない、何かが足りないという問題意識は私も常日ごろ思うので、そんな問題意識から出発しているこの作品に引き込まれながら一気に読みました。

 物語は昔は教会で、いまカフェとして使われている歴史を感じる洋館を舞台に展開します。現代につながる歴史、今という時代、どう生きるか、それは敦史にとっての問いであると同時に私の問いでもあると思いました。

 須藤みゆきさんの作品は虐待家族を扱っています。主人公は四十代前半とおもわれる研究室につとめる女性。幼児期から壮絶な母からの虐待を受け心と体に深い傷をおっています。親による子どもの虐待の姿、子供へ与えるその傷の深さをこの作品は見事に言葉にし表現したと思います。須藤さんの作品はこれまで何作か読んでいますが、今回の作品はさらに切り込んで書かれています。

 母の「あたしのあんたに対する愛情は、これだけつよいのよ」「あんたは誰のものでもない、私のもの、誰にも渡したくない」と言う矢のような一方的な愛情と娘の身体を傷つける行為をしながら、一枚の紙でもあるかのように何の表情もない母親の顔、そんな母の姿に娘はすでに破壊された精神を抱えながら、それでもなお、娘を抱えて生きていかなければならなかった哀れな人間の存在、姿をみています。

 わたしは親と子、家族などを考えてきて、最近社会問題にもなっている親による子どもの虐待にも強い関心がありました。

虐待する親の心理はどのようなもので、どんな背景があるのだろうと。いろいろの事件や本など調べても親が解決できないような問題を抱えて苦しんでいる環境にあることが多い。子どもへのむちは思うようにいかない自分への卑下、鞭が我が子へ転化したものという場合が多いように思います。解決できないやり場のない感情が力のない家族に向かう、そんな構図は少なくないと思います。

 子どもの不幸の裏に親が。親の不幸の裏に時代やその親や家族があるのだと思います。作品中の親は戦争前後に生まれ育った年代ではないかと思いましたが、その時代の女性は奉公に出されるか、もっと貧しい場合は身売りされたりすることも少なくなかった時代です。男尊女卑で人間的に扱われなかった時代ですから、精神的にも経済的にも劣悪な状況で大変な思いをして生きた女性も少なくなかったと思います。まして一人で子どもを育てなければならなかった苦しさは限度をこえていたかもしれません。その人の状況を知らないと何も言うことができないことがあります。

 子どもは親や生まれてくる環境を選んで生まれるのではないのですから、子供に何の咎も責任もありません。今親から暴力などの虐待を受けている子どもに何の責任もないことを、それによって子供が何らかの社会からの不利益な扱いを受けたりしない、そういう社会の認識にしたいなと思います。 命を生み育てる大変さを力の弱い個人にだけ押し付けることも実態にあわないし、子どもは親個人のものという考えも考え直してみたい問題だと思います。実際の親子であることを基礎にその子育てを社会全体で担うという制度を整えることが急務に感じました。

 この同人誌は日本民主主義文学同盟千葉支部誌です

  

 、








nice!(13)  コメント(0) 

目を開けて、未来へ。

 

 この頃思うことの一つが、自分が過ごしてきた7O年と言う時間について。70年たって何がどんな風に変わったのか。自分にとってこの70年はどんな時間だったのだろうかと思う。

なぜか私には明るさはなかった。どこかで明るく前向きに思いたい気持ちがあるが、本当の気持ちでないことを知っている。暗く考えたくないし、人にそれと伝えるのも躊躇う。人に伝えるのは本当の意思や自信、未来への確かな信頼でなければならないと思うから。


 今朝の朝日新聞の天声人語に坂口安吾の言葉について書かれている。歴史的大欺瞞、お任せ民主主義、世襲に由来する権威をなんとなくありがたがり、ときによりどころとする。

これらのどの言葉もいまにぴったりだと思う。本当の自分はどこにいるのだろう。

 本当の自分を確立することくらい難しいことはないと思う。生涯をかけた問題なのだと思う。

 自分の疑問がどんなところにあったのか、次第にはっきりしてきたように思える。

 封建的身分制度、世襲制度から、資本主義的自由主義、貨幣制度へと社会が大きく変化する中で、現在はかって人類が想像もしなかったような変化の時代に突入しているかのようにみえる。しかし人間そのものが変わり、別物になったわけではない。ロボットのような感情や生理にかわったわけでもない。

 人間が基本であるべき、その意味で太古の時代も今も人の願いは同じなのではないだろうか。社会制度や活動がどう変わっても人に始まり、人の命が中心にあるべきで、生を受けて生まれた人の命が生かされる社会であるべきなのではないかと思う。その基本的な命題がおろそかにされる社会でいいのだろうか。言葉を変えれば生きていける人と生きていけない人をつくる社会ではいけないのではないかと思う。

 今の世界、社会はどうなのだろうか。これからの社会はどうなのだろうか。

 他人や世界大きなところを考えてみても仕方がない。自分は目を開けて未来へを考えたいと思う。

 












nice!(10)  コメント(2) 

あちこち迷わずに。

 新聞を切り抜いて後でゆっくり読もうと思ったファイルもたまる一方。読みたいと思う本もなかなか追いつかない。年を取ったらゆっくりのんびり過ごす、そんな老後を人は普通考える。自分も誰かに強制されたりやらなければならない立場にいるわけでもないから、自分を追い込んだりしなくてもいいはずなのになぜかいつもどこかで心が急いている。

なぜ?と自分に聞いている。

 あちこち迷わずに目的のために日々を過ごす?

 やっと一つの方向が心に決まったと思えるが、その道を歩くには日々の格闘が必要なのだ。それくらい確かではない、確かだと言えることはない。その都度確認が必要なのだ。

 


 

nice!(12)  コメント(2) 
前の20件 | -